シャイターンのるつぼ


<堝16 title="狗と猿">


~01

 多ヶ島たがしま 典雅てんがは閉口して、髪をかきむしる。
 やがて、開いた口からは、うんざりという声色が漏れた。
 「なんつーか、ゲームの世界に入り込んだみたいだなぁ…」
 思い浮かべたのは、ゲームセンターの格闘アクションゲーム。キャラクターを画面一番端で画面外方向へ走らせると、一歩も進まない状態でダッシュの動作をむなしく繰り返す。
 まさに、今はそんな状態だった。
 彼の眼前に広がる、何の変哲へんてつもない空間。建物裏と大通りをつなぐ、スタッフオンリーの搬入路はんにゅうろ。何の変哲もない道が、大通りへと延びている。
 それが、『一歩たりとも進めない』。
 大道芸人のパントマイムのように、まるで見えない壁が張り巡らされているかのように、有る地点から一歩たりとも先に進めない。しかも、この見えない壁は触ろうとしても感触も手応えもなく、それどころか手は空しく宙をきるだけなのに、足はわずかたりとも先に踏み込めないというタチの悪さ。 試しに飛び越えようとしてみたが、それも無駄だ。
 ── まるで、『この先がゲームの背景画像でもあるかのように』、『ここが世界の終わりであるかのように』、先に進むという事がかなわない。
 自称・典雅のしもべ、シルフィ=シャイターンと出会う前なら、悪い物でも食べて幻覚でも見ているかと思うような、異常状況。
 前日・前々日からの十余年の人生観を覆す妙な事件の連発のお陰か、この異常状況がシルフィを追ってきたらしい集団の仕掛けた何か、とは予想は付いたが。
 だからといって、典雅の人生においてこんな状況を切り開くような、経験も知識もない。
 「はぁ…何なんだ本当に」
 典雅は、困惑と諦めの混じったため息を一つ。
 ── 自称・精霊が壺から煙と共に湧いてくるわ、悪霊だか魔物だかわからないような物が女の子を襲っているわ、助けた女の子がHなお礼をしてくれるわ、挙げ句の果てが、退魔師だかエクソシストだか分からない連中と、この状況だ。
 もはや、ルイス=キャロル作の童話『不思議の国のアリス』の主人公・アリスのように、ゲームの世界に迷い込んだと説明されても、納得してしまうくらいの気分だ。
 (リセットスイッチでも探すかな…)
 そんな馬鹿な事を考えてため息。次いで、肩をすくめて首を振るジェスチャーも一つ。
 ── と、視界の端に、深々と壁に刺さった刃物の柄が映った。

~02

 「…本当か?」
 低く野太い声が、うなり声のように漏れた。
 報告の主である備前びぜんは神妙にうなずき、
 「はい、『この眼』で確かめました」
 サングラスを外し、左目を指し示す。黄金色に縦長の瞳孔という、人外の瞳。それを、満身創痍の体をさらす金髪碧眼の魔性へと向けて、続ける
 「少なくとも、術者でも、魅入られている訳でもありません。
 彼女に利用されているのか、協力しているのか、という事になると微妙ですが…」
 「………」
 頭領は口を閉ざし、考えを巡らせはじめる。
 押し黙った利根康則に代わり、その姪が口を開いた。
 「──…そ、それって?」
 思わず息を呑み恐る恐るといった語調の涼香りょうかに、備前は片眉を上げて振り返り、
 「ああ、初めて見せるか?
 『見鬼金眼けんききんがん』 ── 霊威れいい看破かんぱする目だ」
 そう言って、目を大きく見開いて、人外の瞳を見せる。
 「これで見るに…あの少年は、まったくの『素人』だ」
 「じゃあ、あの子は術者どころか、あの妖魔の使役主しえきぬしでもないわけ?」
 涼香は、驚きで震える声。
 「ああ、あんな強大な妖魔が、服従の姿勢をみせ、あまつさえ、ああなってまで守ろうとさえしているにな」
 釈然しゃくぜんとしない声で答えた備前は、サングラスをかけながら、もう詰めに入りつつある殺陣たての中央に振り返る。
 凶悪なまでの魔力を備え、傲慢不遜ごうまんふそんとしていた金髪の女性の姿をした何者かは、もはやその面影もない。怒りと憎しみに表情を染めながらも、冬の荒波の狭間で翻弄ほんろうされる木の葉の様に、絶え間なく迫り来る白刃の群れの間を危なげに避け 続けている。それが攻撃すらほとんど止めているのは、風を操る能力を防御に回しているだけで精一杯という証左だろう。その分、こちらの攻撃は当たらなく成ってきたが、それも最早その場しのぎに過ぎない。
 「…ふん、まあ良い」
 それは康則の声。黙考の果てにも回答はでなかったのか、首を横に振る。。
 「頭を悩ますのは後だ。今は事態を収拾を優先する。
 ── 勝村かつむら
 「はいはい。ようやく出番が回って参りましたか。
 ようやく姫様の妹君にわたくし勝村 真治しんじめの活躍をお目にしていただけると思えば、恐縮至極きょうしゅくしごく
 気配すら無かった所から、いかにも軽薄な男の声が響いてきた。
 涼香がぎょっとして振り向けば、砕けた格好の三十がらみの長身の男がいつの間にか佇んで居た。
 オールバックを少し崩した頭髪に、上等そうなスーツ、片耳には大きなピアスがジャラリと音を立てる。ホストと言われればそう見えるし、営業マンを自称してもギリギリ通用しそうな感じだ。
 「さて今からご覧頂きます出し物は ──」
 「── 勝村っ!」
 おどけて道化を気取る男の言葉半ばで、頭領の叱責しっせきの声が割り込んだ。
 「はいはい。…全く、ウチのお頭様は頭が固くていけない」
 勝村は愛嬌あいきょうたっぷりにウインク一つ。涼香としては、珍しく叔父と同じ意見で、こんな時にふざけるやからには同意しかねたが。
 「では『ましら』の奥技おうぎ、『烈羽れっぱ』のお手本いきますよぉ?」
 ひねたように投げやりな口調で勝村は告げて、刀身40センチほどの諸刃もろは投擲とうてき用短剣を取り出した。
 次の瞬間、涼香は目を見張った。

~03

 ── パンっ
 炸薬さやくの破裂したような小さな音。
 それは、ホスト崩れの格好した男の姿がブレた後、刹那の時間差で響いた。
 結果は激烈。
 ── どんっ!!
 砂袋を力ずくで叩き付けたような、サンドバックを鉄製バッドで殴ったような、そんな鈍く体のしんに響く音。
 投擲用短剣が、妖魔を打ち、そのまま壁に叩き付け、いつけた音だった。
 「──…っ!」
 涼香としては、その絶技ぜつぎに絶句するほか無い。
 物心付く頃からの鍛錬たんれんで、常人以上動体視力を持つ彼女にすら、勝村の動作はブレ た残像にしか見えなかった程だ。宣言されてなければ、確実に見落としていた程の速さだった。
 この軽薄な男は、1歩目の助走で、涼香であれば3歩はかかる『梢飛しょうひ』と呼ばれる大跳躍の速力を生み。
 2歩目の助走で、それをさらに加速。
 3歩目で完全に停止し、その全ての勢いを短剣の推進力に変換した。
 少なく見積もっても60Kgの自重を有する成人男性を、10メートルの高みまで持ち上げる強大な跳躍力の全てが、1キロ少々の鉄の塊に注がれたのだ。その速度は弾丸 には劣れど、人間の目で捕らえられる物ではなかった。
 そして威力は、絶大の一言。
 女の形をする妖魔の、最後の手段と言える風の鎧を突破し、それごと壁まで吹っ飛ばし、いつけにした衝撃は、コンクリートの壁に蜘蛛くもの巣状のひび割れを作るほど。
 「…すごい…」
 涼香は、『ましら』の筆頭株と称される男の技量に、思わず感嘆の吐息 を漏らす。
 しかし、その相手は首を振り
 「いえいえ。お嬢様の姉上であられます、我らが姫君の前では児戯じぎにも等しい物で。
  お恥ずかしい限りです」
 その言葉は、それまでの声と同じようにおどけた風ではあるが、しかし謙遜けんそんなどでは無い 、苦笑混じりの声。
 勝村ほどの技量の主をもってしても格の差があると言わしめる、『けん斎姫さいき
 それが自分の姉だという事実に、涼香は沈痛なまでの重い息を吐く。
 そんな姪に少しも注意を払うことなく、叔父は淡々と口を開く
 「仕上げをやる。
 が、その前に先程の話の続きだが、少年本人は何と?」
 「いえ、それが、あまり事態を把握はあくしている様子では──」
 備前は答えの半ばで目を見開き、言葉を失う。
 「…どうした?」
 いぶかしんだ頭領と、その声に引かれた少女が、青年の目線を追えば。
 必死に、世界から空間を切り抜く呪法である『八ツ裂やつざき』 ── 『八限律法はちげんりっぽう』のいしずえである、呪術刀を引き抜こうとしている少年の姿があった。

~04

 典雅の視界の端に、地面に深々と刺さった刀剣のつかが映った。
 テーマパークという場所柄を考えれば、飾りの一種という可能性もあるだろうが、しかし、それをわざわざ客の来ない裏に作るいわれもないだろう。
 そう思って、辺りを見渡せば、同じ物がいくつもある。地面と壁の接点に4本。それから垂直に壁を登った上方に4本。計8本が、この荒事の行われている広場を囲むように刺さっている。
 「そういえば…」
 リーダーらしき男が何か呪文らしきものを唱えている間に、他の連中がそんな物を投げていた記憶があった。
 それにしても、コンクリートやアスファルトに突き刺さっているのは、尋常じんじょうではないが。
 (もしアレが、コレのせいなら、コレを抜いたら、ここから出られる…?)
 指示代名詞だらけの思考をしながら、典雅は試しに柄を握ってみる。
 「── うぅっ か、かてぇっ」
 腕の力だけではびくともしない。
 典雅は、手に唾を付けながら、今度は柄を足で挟み込むように体勢を整え、全身の筋力を使う。
 「── くっ うぉぉ」
 最初はすっぽ抜けた時に倒れないよう備えていたが、予想以上の強固さに、途中からはまさに全力を注ぐ。
 何か、途中で爆竹のような音が鳴った気もしたが、そんな事より意識を集中。
 その甲斐かいあってか、つかが、少しずつ少しずつ上がってくる。それに勢いをつけられ、典雅はさらに手足に力を込める。
 ── その時、
 「ちょっと、何やってんのよアンタっ」
 悲鳴じみた甲高い声と共に、ダンっ、と強烈な音が響いた。
 振り返った時には、恐るべき脚力で宙を舞い襲い来る女の、その赤いヒールが切迫していた。
 その跳び蹴りの主が、例の客引き(もどき)の少女だと視認するより早く、典雅は身をかがめる。
 ── そして、次の瞬間、視界が闇に覆われた。
 「………え?…」
 一瞬、跳び蹴りが叩き込まれ、意識を刈り取られたとも思ったが、どうやら違う。
 どちらかというと、いきなり目隠しされたような感触だ。顔の周りも、女の腕のような柔らかく温かい感触がある。
 ── ぃぃ
 しかも、どこかから変なうなり声が聞こえる。
 自分の顔を探ってみようとすると、手に柔らかな感触。
 「何んだ、これ?」
 結構な厚みで、つるつるして柔らかい感触が顔の前にある。さらに、鼻先にも布のような柔らかい感触が押しつけられた。
 ── ひぃぃ…
 あと、変な声。
 ともあれ、その布を臭ってみる。
 「何だか、甘いような汗くさいような…変な匂い」
 そう、典雅がつぶやいた瞬間、
 「── いやぁぁぁっ 何すんのよ、このど変態!!」
 頭の上の方から、つんざくような悲鳴。
 「死ね、死ね、死んでしまえ!!」
 「ぬぁ…!」
 次いで、ガツンっ!、と凄まじい衝撃が頭部を襲う。
 「何ひとのスカートの中頭突っ込んでるのよ最低このバカ変態死ね痴漢っ!」
 「── ぃだっ 痛て痛て痛てっ」
 怒濤どとう罵声ばせいと衝撃が立て続けに振ってくる。
 ── 要は、典雅が『これ以上進めない』場所に立っていたため、しゃがんで跳び蹴りをかわしても、相手は『先に進めず』、そのままそこに着地してしまったのだ。少年の頭をスカートの中に突っ込ませる格好で。
 「しかもうら若いレディに変な匂いなによ最低バカ変態むっつり離れなさいよっ!!」
 「痛っ そんなっ 痛いってっ ちょ、ちょっと待てって!」
 そういう事を言われても、典雅としても困る。好きこのんでスカートに頭を突っ込んでいるわけではない。それに、無意識にか、下着を隠そうと力一杯太股を締めているため、離れたくても頭が動かない状態なのだ。
 それに、ゴスゴスガスっと乱打は切れ間無く続き、説明の余裕もない。
 (── なら、『押して駄目なら引いてみろ』!!)
 一瞬でも気を緩めれば意識の飛びそうな強烈な連打の最中、そう思いついた典雅は、彼女の腰らしき場所に腕を回し、ぐっと引き寄せる。
 ── ふにょん、と鼻の頭が何か柔らかい物を、例えるなら唇を押し割ったような感触。
 ………
 ……
 …
   「── いぃぃやぁぁぁっっ!」
 数瞬の空白の後、彼女はひときわ甲高い悲鳴と共に離れてくれた。
 「さささ、さ、さいてぇぇっ」
 先程から披露ひろうしてくれる、尋常成らざる脚力で一気に2メートル近く飛び退いたのは、やはり客引き(もどき)の少女。怒りと羞恥しゅうちのあまり顔面を赤黒く染め、興奮のあまり言葉もろくに出せない様子だ。
 「── うるせぇぇっ」
 叫ぶか早いか、典雅は飛び込むように彼女へ切迫。
 別に女性に好んで暴力を振るう性質でもないが、これは別件だ。なにせ、女ながらに力は強く、頭蓋骨ずがいこつの変形を心配する程だったのだ。
 そのフラストレーションをめた手加減一切ない右拳を、飛び込む勢いのまま彼女の鳩尾みぞおちに叩き込む。
 「── ひ…ぅっ」
 赤毛の少女は、抵抗する間もなく崩れ落ちた。

~05

 「ふぅ…」
 涼香が飛び出して間もなく、叔父・康則は小さくため息をついた。それは杞憂きゆうのような色だった。
 それには、確かにまったく姉に似ず才能が薄く素人然とした姪の件もあるが…
 それ以上に、この事件の見えざる背景の件についてだった。
 まるで全てが空振りのような、ボタンを最初から掛け間違えているような、そんな違和感。事態の収拾に近づけば近づくほど、その感覚は強まっていく。
 ── ひょっとして、自分は全く見当違いの事をしているのでは
 そんな疑問さえも脳裏をよぎる。しかし、だからといって引き返す根拠もなければ、勘で動く性格でもない。
 ただ、違和感を追い出すように頭を振り、今回の標的に目を向ける。、
 一瞬のすき無く配下が包囲しているのは、短剣一本で壁にいつけられ、手負いの獣の表情で威圧する、金髪褐色肌の魔性。
 (あれこそ『昭和最後の外道師げほうし久慈くじ 諒軒りょうけんの式神 である、白路はくろ塑岳そがくが食い合いの果てに魔と堕ちた物)
 そう断ずる。
 利根 康則が信頼を置く配下、備前もそれを肯定する。彼の鬼見おにみの瞳 ── 見鬼金眼けんききんがんは、あれの霊質を混沌こんとんにして不純と看破した。短期間で力をつけた魔性としては、よくある性質だ。周囲の雑霊・魔・精霊などを手当たり次第に取り込んで、肥大した果てに、自己を見失っているのだろう。
 それ以外にも、証拠はいくらでもある。
 強い霊を解き放った形跡が残った海岸線、他の魔性を取り込む際に暴れたらしい緑地公園、そこから残存する気配、『多少乱暴な手段』で地元の術者から聞き出した情報…どれも確かな物だ。
 ── ただ、1点。あの少年については、見込み違いであったが、それがそうとしてもどうと言う事でもない。
 例え、あの魔性の存在そのものが、わなや陽動に過ぎないとしても、何ら問題はないのだ。今回の件で追撃に赴いているのは、自分と栗田の2班だけなのだから。他の班は大事を取って 、本家敷地の警護と、座長など頭脳陣の護衛にあたっている。突かれる隙などどこにもない。むしろ返り討ちにするだけ。
 (ならば、なんだ、この取り返しのつかない何か──)
 と、そこで康則は頭を振って、思考を中断。
 「── ふんっ」
 自分の異名を思い返して、鼻息を一つ。
 (犬が、剣が、『道具』が余計な事を考える必要は無い。『道具』が杞憂など馬鹿馬鹿しい。
 罠?陽動?だからどうした。
 誰が何をしようが、最悪の最悪など…)
 思い浮かべて、笑う。
 あまりの馬鹿馬鹿しさに。
 (お館様を殺す…そんな事、どんな人間にも不可能だ)
 ふっと、一息吐いて、表情を引き締める。
 『頭犬』と、『刀剣』と同じ音で呼ばれる男は、その異名通りに役割を果たすべく踵を返した。
 まだ、抜け切らぬ不安を胸にしながら。
 「── 封魔陣、用意っ」
 懐から、土色の古びた小壺こつぼを取り出しながら。


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