シャイターンの堝
<堝17 title="フウマの小壺">
~01
五芒星が、アスファルトに刻まれていた。
比喩ではなく、文字通り、刻まれていた。
利根の式刀は、元来、『筋骨は鋼の如く』とも言い伝えられる、鬼の類を殺すための
人造魔剣だ。
その灼熱色の刃が、鬼殺しの尋常ならざる刃が、たかだかアスファルト如き刻めない訳もない。
そうやって、魔剣によって斬り刻まれた、五芒の円陣。直径で4メートル程度の正円の中の、星形の頂点それぞれに、太刀を逆手に構えた人影が5つ。
「封魔陣、起動開始」
儀式を執り仕切る利根康則の宣告。
── 『応っ』、と他4人が応えた。
まず、康則が自分の足下、五芒星の頂点の一つに、刃を突き刺す。
「『陽女八木』っ」
主に銘を呼ばれた太刀が、轟、と吠えるように青色の霊気を吹き上げた。それは、地に描かれた陣形に浸透し、アスファルトが波打つ水面のように盛り上がり、四方に走った。
「『帯縞』」
波が足下の頂点に至った瞬間違わず、左隣に立つ栗田が太刀を振り下ろす。
再び、轟、と上がる霊気は、赤。
そして、またアスファルトが盛り上がり、波のように四散。
「『堂羅鏡』っ」
三つ目の頂点は小柄な中年女。太刀を振り下ろせば、吹き上がるのは、黄色の霊気。
順を追う度に、アスファルトの『波』が大きくなっている。
「『天絃法師』」
「『浄財坊』」
4点目は白、5点目は黒の霊気。
地面の隆起は、さらなる大波と化す。
そして、最初の頂点 ── 『頭犬』利根康則に戻る。彼は、地より赤茶けた刃を抜き放ち、高々と掲げ、
「封魔晴明陣 ──」
再び地に突き刺す。迫り来る波を叩き潰すように、力強く。
途端に、アスファルトの『波』の動きが変わった。今まで、四方に散り消えていたそれが、同一方向に向けて動き始める。風車の羽根のように、円陣の中で回転を始め、徐々に徐々に、早さと高さを増していき…
「── 開眼っ」
康則の言葉と共に、『波』は円陣の中央に据えられた物体へと殺到。
それを、高々と持ち上げた。
── それは、小さな壺だった
── 古びて、上薬のツヤさえ薄れたような
── フタも飾りも何もない、空っぽの、
── 一握り大の赤茶けた小壺
それは、飢えた獣が目の前の物全てに牙を向けるように、それらを食い尽くすように、虚空へと通じる口を開いた。
~02
「ちょっと、やりすぎたかな…?」
典雅は、珍しく反省するような事を言って、倒れた赤髪の少女に近づいた。
確かに、頭を太股で挟みこんで肘と拳の連打、というのは実に凶悪な攻撃だ。実戦派を掲げる格闘技の試合放送でも、そうそうお目にかかれない。
「しかし…」
だからといって、か弱い女子供に全体重を乗せた渾身の拳を叩き込み、一撃昏倒というのは、ちょっと大人気なかったのかもしれない。
まあ、10メートルくらい平然と跳んだりするような女は、か弱いと言わないかも知れないし。そもそも、典雅は大人でもないし。しかも、見た目は明らかに、相手の方が年上のような気もするが。
「しかし、腹だったしなぁ」
男と違って、女は子宮という厄介な代物を抱えているのだから、下手して何か大変に致命的な事になってたら、ちょっと嫌だ。そういう意味で「傷物になった責任取れ」とか迫られるのは、想像に楽しくないし、実生活としても多分楽しくない。
「はぁ…
何でケンカふっかけて来たヤツの心配をしてやらなきゃ成らないんだ…」
実に面倒、という口調。
ともあれ、典雅は倒れた少女の口元に手をやり、呼吸の確認。くすぐったい吐息の感触が、規則的に繰り返されている。
一応、大丈夫らしい。
念のため、彼女の手首に指をあて、脈拍も取ってみる。内臓破損などで出血で血量が減れば、一時的に脈拍が増えるのだが、これも正常域。
所詮、門前の小僧習わぬ経を読む、といった程度の知識による典雅の判断なのだが、ひとまず無事そうだと分かり、安堵の息。
気が抜けたからか、思わず苦笑混じりの愚痴がこぼれた。
「…大体、美人局に金巻き上げられそうになるわ、真剣で斬られかけるわ、こっちが被害者じゃねぇかよ。慰謝料を請求されても払わないぞ、俺は。
エロい事何もさせてもらえて無いし」
そう思い出して見てみれば、娼婦じみたセクシーな服装と、それが似合うスタイルの少女だったのだ。横倒れになっているから、大胆に開いた胸元から豊かな谷間がのぞいているし、深紅色のミニスカートから伸びる太股が、むっちりしていて中々
色っぽい。それに、スカートがすこしめくれ上がり、ヒップラインを危うく隠しているため、何だか余計にそそる。
「…あ〜…なんつーか…良いよな、このくらい…慰謝料代わり?」
典雅は、自分でも誰に対してか分からない言い訳をつぶやく。
彼としては、初めの経験だった。
女の裸や下着姿ならまだしも、こういう身体のラインとか、太股とか、直接的では無い部位に欲情するのは。それは、童貞を卒業して女の身体の良さを知ったからなのか。あるいは、彼女のフェロモンなのか。
ともあれ、妙に劣情をそそられる典雅は、恐る恐る彼女のタイトスカートの裾に手を伸ばした。初めて女を犯した時以上に緊張した様子で、スカートの端をつまんでたくし上げ、下着を露出させ
、覗き込む。
「…黒だ」
しかも、レース。高校生くらいに見える彼女には多少早すぎるようなデザインかもしれないが、しかし肉付きの良い肢体との組み合わせには違和感を感じない。
むしろ、白いヒップに黒の下着は、コントラストが効いている。
「…なんか、すげぇエロいな…」
その柔らかそうな尻の肉に、つい昨日犯したばかりの眼鏡のシスター・のりこの事を思い出す。
彼女の、打ち込むたびに揺れる胸と、柔らかに受け止める太股と尻の感触。優しく締め付ける温かな膣壁。見た目通り控えめな甘い声。
不意にそんな事を思い出し、思わず息が上がる。
昨日は、精力の限りを尽くした後の疲労感と面倒事が立て続いた心労とで、考え無しに別れたが、連絡先でも聞いておけば良かったと今更後悔する。
── 隷のあんなしょうもない嘘に騙される彼女達なら、適当に言葉を並べ立てれば、また簡単にSEXさせてくれそうな気がする。
と、まあ外道この上ない事を考えてみた所で、既に後の祭り。
しかも、典雅に、彼女達を探し回ったりするだけの、熱意や固執や心残りがあるわけでもない。
その証拠に、そんな事すぐに忘却し、目の前の女体に集中する。
「…前は、どうなってんだろ…?」
典雅は、疑問と同時に、彼女の膝と腕に手をかけた。
横向きに寝そべっている体勢では、豊満な太股に隠され肝心の股間部がよく見えないのだ。
仰向けに寝かせ、膝を開かせる。M字開脚の体勢だ。そこに、顔を突っ込む。
「…さすがにここは、レースじゃないのか…」
生地の大半をレースが占めている下着だったが、女性の秘部を覆う部分は通常の布地になっている。
それは、クロッチという部分なのだが、無論、典雅はそんな事など知らない。
しかし、肝心なだけ隠され、他は肌を透けて見せるという構造は、秘部が強調されて見える。これがチラリズムという物なのか、透けて見えるよりいやらしい感じがした。
「……」
思わず、喉が鳴った。
夏の蛾が火の光に吸い寄せられるように、ふらふらと手が伸びる。
──
別に、寝込みを襲おうと言うわけでもない。若くして強姦魔のレッテルを貼られるのも勘弁だ。嫌がる相手に無理矢理なんて趣味でもない。だけど…触るだけ、そのくらいなら、その、別に…。
典雅は、珍しく後ろめたい気分で、下着の逆三角形の最下端。クロッチが隠す女の秘めたる部分に、指を…──
「── 典雅様ぁっ!!」
「── うわぁっ いやその、違ぁ、あのっ!」
不意に、響いた女の絶叫に、出来心に負けつつ有った少年は、滑稽な程あわてふためいた。
~03
「── 典雅様ぁっ!!」
その絶叫の主は、金髪碧眼で褐色の肌の女、シルフィ=シャイターンであった。
「典雅様、助けてたもれっ」
自称・典雅の隷。自称・高等で、自称・強大な、自称・風の精霊。
「嫌じゃ、あんな所は嫌じゃっ あんな暗黒の底など!」
常に傲慢不遜に、実に偉そうに、何かと無駄にでかい乳を見せつけるように
身を反らし。口からでる言葉は自賛と、高圧と、高慢と、高飛車。
「そんな所に舞い戻るなどっ 嫌じゃっ」
それが、不似合いな哀れな声を上げ。涙でぐしゃぐしゃにした顔で、頭を振り回し。細い体躯は、標本の昆虫のように、壁に縫いつけられ。
「典雅様っ 妾を、妾を、助けてたもれっ」
そして、円陣組む男達の中央に吸い込まれている。
褐色の左腕と長い金髪は、湾曲した鏡に映るように、冗談のように
歪められ、引き延ばされて、壺へと引きずり込まれつつある。
「妾は良き隷であったであろうっ? 良き女子であったであろうっ? 妾の身体に満足いただいたであろう!? そうであれば そうであればっ そうであれば!」
彼女は、遠くで立ちつくす典雅に、媚びるように、乞うように、必死に訴えかける。
一刻一刻と、少しずつ円陣の中央へ、その中心に浮かぶ壺の方へと、吸い寄せられている。
「助けてっ てんが…さまぁ…っ!」
ついには叫びが切れ切れになる程に吸い込まれながら。
典雅を呼んだ。
~04
「これで、無視していくっていうのは、ちょっと…」
ここに来てなお、そんな事を言っている典雅。
いや正確には、ここに来てもなお、そんな事を言うのが典雅という少年、というべきか。
「…まあ、仕方ないか」
と、ため息。
この後、バスの中でセックスさせてもらわないといけないし、とは口の中だけでつぶやき、駆けだした。
向かうは、シルフィが吸い込まれていっている、男達の円陣の中央の壺。
その間には、磔状態のシルフィを遠巻きに囲む、帯刀した男女が数人。
先刻まで躊躇無く太刀を振り回してきた連中が、どういう訳か今度は刀を納めて、素手で向かってくる。
「── ちっ 行かせるかっ」
抱きしめるようにして捕まえようとした大男の右脇をくぐり、
「このガキっ」
こちらの膝を砕くように直線的に蹴り足を放つ女のブーツを逆に踏み台にし、
「大人しくしていろっ」
横合いから腰に飛びついて来る中年の頭上を飛び越える。
典雅の動きが予想外だったのか、浮き足立っていたためか、あっさり突破できた。
しかし、現実そう甘くは無いらしい。
典雅が回避に使ったわずかな時間で、先程のサングラスの青年がフォローに回ってきている。
「── ふっ」
とは、典雅の呼気。青年の顔に向け、拳に走る勢いを乗せて放つ。
「…甘いっ」
サングラスの青年、備前が勝ちを確信した笑みを浮かべる。
全く先程と同じだったからだ。先程、典雅が振り向きざまに不用意に殴りかかり、そのまま地に押し伏せられた際と、全く同じ力任せなだけの拳突。
備前が足を緩め、迫る拳を避ける。同時に、少年を投げ飛ばし、極めて、抑え伏せるために、渾身で繰り出された拳に自分の手を添えた。
「ひゅっ」
風切るような呼気と共に、典雅の身体は易々と宙を舞った。
次いで、
── だんっ
と、路地を叩く音。
しかし、それは、少年の五体がアスファルトに叩き付けられた音ではなく、彼のスニーカーが地をつかんだ音だった。
「── よっと」
緊張感のない声と共に、典雅は着地で崩れかけたバランスをただし、走り抜けた。
宙に飛ばされた勢いを利用し、備前の腕を振りほどいて。
「くっ しまった…!」
単純な話だ。投げられる瞬間に、自分から飛び上がっただけ。相手の考えた以上の勢いで孤を描いた身体は、そのまま相手の手の拘束から抜け出した。
単純だが、恐ろしくタイミングと力加減に精妙を要する技術だ。
飛び上がる力が強すぎれば今度は着地が難しくなり、逆に弱ければ相手の手の戒めを振り払う事ができない。
言うは易し行うは難し。
そんな充分に大した事をやっておきながら、何事も無かった様子で、典雅は走り続ける。
他に前方に障害は無い。あとは、円陣を組み地面に太刀を突き立てたままの体勢の5人のみ。
典雅は、地面が水のようにたわみ変形した中央地点へ、何の躊躇いもなく飛び込んだ。
たわんだ地面に持ち上げられ、彼の胸の高さに有る小壺が、まるで巨大なバキューム器の先端のように、シルフィの金髪を引きずりこみ続けているが、
「つーか、俺、助けるといっても、何やれば良いんだ…?」
しかし、無かったのは、ためらいだけではなく対処法も、のようで、5人の男女が行う儀式の五芒星の中心に飛び込みながら、今更、首を傾げてそんな事をぼやく。
「── こ、この子っ!?」
全くの不意打ちに、儀式のど真ん中へ飛び込んできた典雅に、太刀を突き刺していた5人の内の1人、中年の女性が血相を変えて、腰の小刀に手を当てる。
と、そこに頭領から制止の声。
「山城っ 術式の最中だ、持ち場を離れるなっ」
「でもっ」
「ったく、『お嬢様』は何やってるんだっ」
「備前、勝村っ 邪魔だ、叩き伏せろっ」
そんな喧噪あふれる最中にありながら、典雅は気にせず顎に手を当て黙考。
「おい、ガキ妙な真似するなっ」
あわただしく駆け寄ってくる靴音も。
「少年、離れろ、巻き込まれるぞっ」
ひどく焦った警告も。
「て……ま…っ …が…さ…っ は…は…ようっ わ…らわがっ き、きえ…きえ…てし…まう」
長い金髪は半ばまで呑み込まれ、抽象芸術のように引き延ばされて容貌を崩している隷も。
何もかも、意識の外に、典雅は五芒星の中央に立ち、異常に細長く隆起したアスファルトが持ち上げる、その壺を見つめる。
「…ん〜…」
別に、彼はそこに何かを感じ取った訳でもない。何かいい考えがあった訳でもない。
ただ、何となく、「この壺が吸い込んでいるのなら、とりあえずフタをしてみれば」、と思い。
手で塞いでみて、特に変化もなかったので。
次に、手に持って、ひっくり返してみただけ。
── ただ、それだけの話。
そして。
爆発に似た衝撃が、一瞬にして意識を刈り取った。
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