シャイターンのるつぼ


<堝18 title="小壺の風魔">


~01

 ── どん!
 強烈な風圧。
 テーマパークを突然襲った強風に、木々は嵐の夜のように身をきしませ、色とりどりの縦旗は荒々しくはためいた。
 ごうごう、と。全ての音をかき消す突風の後には、帽子を飛ばされたり、体勢を崩した来園者達の、ざわめき。
 その騒々しさの中でも最も際だつ声は、思春期真っ盛りな男子学生の馬鹿な絶叫だった。
 「うおおおおっ」
 「ナイス風! ナイス突風! 激昂☆聖女布天國イッツ・ザ・パンツ・ワールド!!」
 「くそ、なんて事だ。 清楚系と信じて疑わなかった3組の宮本嬢が、あんな扇情的な赤の下着とは……っ
 学内風紀の乱れに憤りを覚えないわけにはいかないなっ」
 「…………」
 眼鏡の少年は、そんな友人達の騒ぎには混じらずに、訝しげに風の吹いてきた方角を見つめいる友人に目を向ける。
 「── ん? ヒロ」
 「どうした、幽霊でも見たような顔して」
 「……さっきの風……なんか変な感じじゃなかった?」
 「はぁ?」
 「変な風、とは?」
 「確かに、めったにないくらいナイスなパンツ風だったが」
 「…………なにそれ」
 「それよりさぁ、次はどこ行く?」
 「いい加減、ショーとか見る系のアトラクションはあきた。 乗り物系いこうぜっ」
 「俺は、お前達の顔を見飽きた」
 「……」
 童顔の少年は、友人達の気楽そうな声を聞き流し、ただ独り深刻な表情で、風の吹いてきた方向を ── 典雅達を見失った袋小路のある方向を ── ずっと見つめていた。
 

~02

 「てぇ……っ」
 多ヶ島たがしま 典雅てんがは、意識が戻ってとりあえず頭をさすった。しかし、痛いのは頭部だけではない。全身くまなくだ。何やら、幼い日にアパートで 『池田屋落ち』 を 実演した事を思い出させた。 あるいは、袋だたきされた次の日か。
 ともあれ、全身を手でさすりながら、身を起こす。
 「── 何がどうなったんだ…」
 涙のにじむ目をぬぐい、周りを見渡してみた。
 ── 死屍しし累々るいるい
 辺り一面、広がっていたのは、そんな光景。
 「……なんか、あったな、こんな事。 ごく最近に」
 典雅は、既視感と共に、新たな頭痛を覚える。それは愉快な記憶でもなく、むしろ色々な面倒事の原因とかだった気もした。だから、それ以上思い出さないように頭を振る。子細しさいを気にしない典雅らしい対応だ。
 「さてと……」
 そう言って、手に持っていた、小壺こつぼを思い出す。先程は超常の力を振るい、シルフィを封じ込めようとしていたそれも、今はただの古びた薄汚いだけの代物。しかも、 倒れた衝撃でどこかにぶつけたのか、あるいは既にもろくなっていたのか、風化するように半ば崩れていた。
 それを興味なさげに投げ捨てると、典雅は再度辺りを見渡した。
 「シルフィの奴は、どうなった?」
 倒れている連中の中には、小麦色の肌と金の髪を持つしもべの姿がなく、思わずまゆをひそめる。
 すると、そっと、消え入るような小さな声が耳にまる。
 「……お側に、おりますぞ……典雅様……」
 振り向けば、地面から数十センチ身を浮かせる、シルフィ=シャイターンの姿。
 「シル……フィ?」
 その姿に、典雅は思わず息を飲む。
 「……わらわは……いつも……典雅様のおそばに……」
 そっと、ため息を吐くような、ともすれば、聞き逃しそうなほど小さな、そよ風に消えそうな声。
 その肌に、もはや壁にいつけにされた際の腹を貫通する跡も、全身を血まみれにしていた裂傷も、今は一つたりとも見て取れない。流血で朱に染まりかけた、髪も、既に黄金の輝きを取り戻している。
 しかし ──
 「── ……典雅様……妾は……」
 微笑は、薄く、おぼろに、はかなげで。
 うれいを帯びた、しかし、どこかあきらめがついたような、透明な表情。
 「……典雅様が妾の……妾の主様で……良かった……」
 そう、まさに透明だ。文字通り、向こうが透けて見える身体。宙に浮きながらも、その下には影が落ちてない。
 ── それはまるで、本当に精霊のようで。
 ── それはまるで、蜃気楼しんきろうの映す幻のようで。
 ── それはまるで、別れを告げく者のようで。
 「お、おい……シルフィ……?」
 典雅は、思わず手を伸ばす。
 誘蛾灯ゆうがとうに誘われる虫の様に。
 去る者を引き留めようとする様に。
 天に浮く月をつかもうとする様に。
 ふらふらと、意識せぬままに、手を伸ばした。
 そして……


 ── むにゅ、っと。


 柔らかな、感触。
 「…………」
 ロケット型の爆乳は、今日も弾力あふれる良い感触だ!
 「── おお、もう欲情されたのかえ!?」
 シルフィが嬉々として言いながら地に足をつければ、薄らいで消えそうな蜃気楼のようだった肢体したいは、全く何事もなかったかのように鮮明に象を結ぶ。
 「……………………」
 「まったく、妾の主様は性急な御方おかたであるのう……ふふ」
 相も変わらず、凶悪なサイズを誇る胸を無駄にり返らせ、実に偉そうに言いながら、ティシャツをまくり上げようとする。
 「…………」
 「お? どうされた、典雅様?」
 しかしシルフィは、ぷるぷる、と何故か身を震わせるご主人様の様子に気付いて、その手を止めた。
 「……こ……」
 「う?」
 首を傾げてシルフィは近づき、
 「……こ……この……っ」
 「ん?」
 主のうめくような声に引かれて、伏せた顔を覗き込めば、
 「── この野郎やろうぉっ まぎらわしい事言いやがってっ!」
 主人である少年は、がっちり蛇の巻き付くようなプロレス技で締め上げる。
 「── て、て、典雅様っ こ、壊れるっ そんなにされたら妾が壊れるっ」
 しもべは何か勘違いを招きそうな悲鳴を上げた。

~03

 「いやはや……何とも、ひどい有様で」
 どこか呆れるような低い男の声が、衣擦れの音と共に響いてきた。
 典雅がシルフィを放して、そちらに目を向ければ、バーコードヘアの中年男、栗田が一人立ち上がっていた。
 相変わらず人畜無害という顔をした中年男は、のんびりハンカチを取り出し、額をきながら苦笑い。
 「しかし、君も無茶をしますねえ。 一歩間違えれば、封印の壺に一緒にみ込まれていましたよ?」
 「あ、そうなんだ?」
 その忠告に典雅の平坦な声で応える。だが、それは相手の言う事を信用してないのではなく、単に実感が湧かないためであり、また、そもそも危機感が薄い性質というだけだ。
 その様子に、栗田は苦笑いを強め、死屍しし累々るいるいとした辺りを見渡して、ため息を一つ。
 「いやはや、しかし、これが彼女の実力だとすると、なんともまあ規格外きかくがいな」
 「あ、そうなんだ?」
 同じ言葉を同じように興味なさ気に言って、何ともなく辺りを見渡す典雅。
 「ええ、こうやって八ツ裂やつざき ── まあ、わかりやすく言えば結界というか、空間封鎖術でしょうか ── それを内から食い破る事ができる存在ものなど、そうそう居ませんよ 」
 栗田は、感嘆の様な、呆れの様な、そんな声で告げるが、
 「はあ……」
 典雅はやはり気のない相づち。栗田の目線を追えば、先程まで典雅が、必死に抜こうと引っ張っていた短剣が、ガラスの様に見事に砕けて四散していた。
 「やっぱり、アレのせいで外に出れなかったのか?」
 「まあ、一応、術式の基礎ですし。
 あ、でも、急ごしらえとはいえ、結構頑丈な術なんですよ?
 ウチの本家の蔵ほどではないにせよ── っと、それは君とは無関係でしたか……?」
 微妙に伺うような、探るような、そんな目で見られる。
 「へ〜……そんなにすごいんだ、こいつ」
 典雅は半分聞き流しながら、傍らに立つ女を見ると、彼女は相変わらず胸を反らして、偉そうにしている。
 「ええ、大変強大な力の持ち主ですよ。
 多分、霊威だけみれば、そこいらの鬼より上でしょうね」
 その言葉に、典雅は苦笑。
 「そりゃまた……すごいんだか、すごくないんだか……」
 「充分に凄い事ですよ。そもそも鬼は、鬼神という言葉が示すように、神々の末裔の一つと言われるのですから、それに匹敵するとなると、どこかの地方で神として祭られていてもおかしくない 、という事なんですよ?」
 「ほ〜……」
 と感嘆のような台詞ではあるが、しかし典雅としては今ひとつぴんとこないので、適当に相づちを打っているだけだ。
 だいたいシルフィが『神として祭られる』などというような偉そうな姿など、欠片も想像できない。
 それに、『鬼』なんて言われて思い浮かぶのは、節分の豆まきか、あるいは童話『桃太郎』くらい。
 幼稚園児に豆を投げられ退散する仮装姿の大人達か、絵本によくあるシーンのような、主人公の若侍どころかお供の小動物にすら負けて、泣きながら土下座する小悪党 か。
 どちらにせよ、典雅の脳裏に浮かぶのは貧弱なイメージばかり。
 しかし、栗田は説法好きがするように、相手構わず一方的に言葉を続ける。
 「もちろん唯一神教の『神』 ── つまり創世の絶対神のような巨大な存在では無いにせよ、多神教国であるこの国でいう 『神』 もまた強大な力をもっている相手の事ですよ。
 ただし、そのさがは、まさに荒れ狂う自然の化身。災厄の権化。印象としては、むしろ悪魔にさえ近いのです。
 ── そんな者を、たかだか一介の『人間ごとき』が、制御できると思いますか?」
 指一本立てて、そう試すように尋ねてくる、中年の男。
 対して、少年は、返答に詰まったように、困惑の表情。
 「……はぁ……」
 そして、一つため息の後に、こう尋ね返した。
 「なあ、アンタ、……結局何が言いたいんだ?」
 「いやはや、なんて事はないんですよ?」
 栗田は、相変わらず人の良い顔で、微苦笑。
 「── 単なる時間稼ぎですからっ」
 言われて見渡せば、昏倒していた面子の半数近くが身を起こしていた。

~03

 「しゅあや
 そんな声が響くと共に、典雅の前で演説もどきをしていたバーコードヘアの中年は後へ一歩大きく飛ぶ。
 声のした方 ── 典雅の後方と距離を取るように。
 典雅は、背に熱を感じて振り返れば、後方では炎がごうごうと立ち上っていた。
 10人ほどの男達が、松明を掲げ、寄せ合わせ合っている。
 ── いや、違う。
 松明のように刀剣から炎が立ち上っているのだ。それは、逆巻きうねって、渦を巻きながら、中心の一本へと収束する。
 「── 鬼火おにび逆繰さかくり。 朱結しゅけつ火渡ひわたり!」
 ── どんっっ!!
 頭領・利根康則が、呪文じみた気合いの声と共に剣が振り下ろせば、刀身に纏う炎は、火球と化して大地を疾走する。
 チリチリと、肌を焦がすような強い光を放ちながら迫る、巨大な火炎弾。その灼熱の蕾が花開けば、人間の1人や2人、骨まで炭と化すだろう。
 しかし、そんな予想を裏切るように、途端に四方から濁流のように空気が流れ込んでくる。
 ── ……ズザザザザザ……っっ
 それは束ねられ、逆巻く風は、龍の様に巨体を起こして、灼熱の巨大な球弾の前に立ち塞がる。火炎弾は、その風の巨柱に衝突して、ボンっ火薬が破裂したような音を鳴らす。
 爆音と共に、竜巻が紅蓮に染まるが、それも一瞬の事。勢いに勝る竜巻の爪牙が、大型車ほどの火炎弾を切り刻み、四散させる。
 「ふふふ……愚かな。そのような貧相な火の粉が、妾の肌に届く訳もあるまいて」
 細い喉を鳴らし、意地悪く微笑むシルフィに、典雅は血相を変えて声を上げる。
 「── おいっ!」
 それと同時に、赤い雷撃のような光が走った。
 「いやはや……これもかわしますか。 本当に勘のいい」
 苦笑い混じりの声は、ドンっ、と鈍い音を立てて横の壁に『着地した』栗田。見た目、重鈍そうな中年太りのオヤジだが、その動きは俊敏どころか弾丸のように速い。
 しかし、間一髪、典雅がシルフィの首を抱き寄せた事で、栗田が跳躍しながら放った必殺斬首の一撃は、典雅の腕の皮一枚切り裂いただけにとどまった。
 「いっ、てぇ…… おっさん、本当にその刀、破傷風とかにならんだろうな?」
 典雅は顔をしかめて、シルフィの首を守り、名誉の負傷を受けた自分の右腕を舐める。
 「……ぅ………ぁ」
 典雅の腕から流れ落ちる血に、シルフィは目を見開き、小さくうめいた。
 「……君も本当に、冗談みたいな存在ですね?」
 栗田は地面に改めて着地し、刀を担いで困った様な声を出す。
 そんなどこまでも緊張感の無いやり取りをする主人の横で、シルフィはうつむき、ティシャツの胸のあたりを握りしめ、苦悶のような声を漏らし続けていた。
 「……うぅっ あ……ぐぅ……はぁ……」
 一見、急に動悸に喘いでいるような姿だ。
 「おや? 急に大きな力を振るって、気息でも乱しましたか……?」
 栗田が訝しげにつぶやきながら様子を伺う。
 しかし、どうにも様子がおかしい。
 乱れた呼吸にあわせて、風が蠢き、それとともに冬風の金切り音のような、耳障りな音が徐々に大きくなっていく。
 ── それは、まるで大気が悲鳴をあげているような………。
 「── 逃げろ!! くるぞ!!!」
 誰か悲鳴のような警告と、シルフィの絶叫が同時に上がった。
 「── うわあぁぁぁ、ガァァァァァァァァアア!!」
 凶叫と共に、風が真っ赤に染まって吹きすさんだ。

 

~04

 備前は、見ていた。
 ただ、見ていた。
 ただ、見続ける事以外は、何も出来ないでいた。
 「ば、ばか、な……」
 かすれた声。
 それが、己の声だと気づかない程に、茫然と眺め続ける。
 「ありえん……こ、こんな……こんな……っ」
 彼だけが、見ていた。
 彼だけが、『視える』が故に。
 彼だけが、その真の有様を看破できるが故に。
 その、上辺の気配だけではない、その奥底にある凄まじい渦を。
 その異様さを。
 その威容さを。
 その強大さを。
 その巨大さを。
 その暴悪さを。
 その最悪さを。
 その、災厄そのもの、を。
 「……これ程のモノが、これ程の存在が、何故『ただの人間如き』に従う……っ!?」
 その、見鬼の目の網膜を焼くような強い『光』を、全ての事象を塗り変えんばかりの強力過ぎる『力』を、涙を流しながら見続る。
 ── 自分達の頭領が、仲間の力をまとめ上げ、一つにして放つ鬼火の秘術。
 無駄だ。
 あんなモノに、あの程度の物が効く訳がない。
 ── 歴戦の剣士である栗田の、電光石火の飛び居合い。
 無駄だ。
 あの程度の式刀では、あのモノの防御を突破できる訳がない。
 (── 見誤っていた……っ)
 彼だけが、自分たちの過ち事に、ようやく気付いた。
 (── この程度の装備と人員で、どうにかなるような存在ではない……!
 『使い魔が複数の魔を取り込んだ』 程度の事で、至れるような霊威ではない……!)
 根本的な、間違いがあったのだ。
 おそらくは、全くの逆だったのだ。
 『昭和最後の外道師』 とまで呼ばれた久慈諒軒の、歴戦の式神である白路と遡岳が、手当たり次第に魔を取り込み、変異した訳ではなかったのだ。
 白路や遡岳のような下等な魔を手当たり次第食い散らかした ── そして、白路や遡岳のような歴戦の式神が、下等に見えるほどに ── 強大な、魔だったのだ。
 「……ぅ………ぁ」
 女の ── 女に見える何者かの ── 小さなうめき声と共に、風が変わった。
 風の色が変わった。
 風に宿る霊気の質が変わった。
 天然自然とした青や緑の混じる流水に似た色から、赤く黒く濁る死血のような色へ。
 怨と憎が滲む、風がきしんだ声を上げ始める。
 まるで亡者や怨霊がうめく様な声を上げながら、大気が逆巻き始める。
 「── 逃げろ!! くるぞ!!!」
 備前が、五体を縛る恐怖を振り払い、声を上げると共に、決壊の音が上がる。
 「── うわあぁぁぁがあああああああああああ!!」
 そして、大気に死が溢れた。


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